和服への憧れ

着物とか浴衣なんかの和服というのはよいものだ。
なんと言ってもわが国の民族衣装みたいなものである。
その形状の衣服が生まれた背後にある歴史や民族性というものに、いつも多大な興味を抱いている。

和服の、限りなく直線的な型。
曲線というのは、袖下の丸み部分くらいなもので、あとは全て真っ直ぐである。
全てのパーツが、あの細い反物の幅に収まり、裁断効率考えられている。

形において他から抜きん出るのではなく、意匠によって個性を出す。
色、柄、帯や小物との組み合わせ、形がみな一緒であるからこそセンスが光るスタイリングが求められる。
やはり洋服とは意図するところがまるで違っている。

こうした全ての要素の中に、日本人の全てが込められているような気がする。
取りあえず、そんなに柔軟な国民性とも思われない要素の集合体であるようだ。

一時、着物を着て毎日過ごしてみないと思った時期がある。
結局色々の理由で私に着物生活は無理だと思い至って断念したのだが、色々と着物について調べたりした。

大正時代のヴィンテージ着物や、それが意外と安いこと、日本随所で随時、そういう着物の市をやっていること。
江戸小紋のこと、銘仙のこと、京友禅のこと。
無地の正絹が、思った以上に安くネット通販に出ていること。

買おうと思ったが、自分で仕立てるには高い金額であること。
失敗したら大変である。
四季によって柄や素材を選ばなくてはならないところが、俳句のようであること。
などなど。

調べれば調べるほど深遠で、一朝一夕で開眼するような分野でもないことが分かった。
これは、一生かけて勉強するような分野だな、と思った。
まあいずれ、いずれである。

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